人相占いの元祖、水野南北が説く、人の運は食にあり

水野南北は江戸時代中期ごろの観相家(人相や手相を見て性格や運命を判断する人のこと)。日本の人相占いの元祖と言われています。南北の人生は波乱万丈、それだけでネタになりそうな人物ですが、南北の著した「南北相法」は今でも占い師たちのバイブルといっても過言ではありません。今回は、南北の人生とその教えをレポートします。

水野南北、波乱万丈人生

江戸時代中期、南北が生まれてから死ぬまで歴史上ではこんなことが起きています。

1774年 杉田玄白が「解体新書」を著す
1776年 平賀源内がエレキテルをつくる
1821年 伊能忠敬の日本地図完成
1832年 葛飾北斎が「富獄三十六景」を描く

これくらいの時代だったんだなと思い描きながら南北の人生を見ていきましょう。

0歳 1757年大阪に生まれる。両親は幼いころに他界、そのため鍛冶職人だった叔父に引き取られる。
10歳 酒を覚え非行に走る。
18歳頃 悪事で捕まり牢屋に入れられる ⇒「牢の中と外にいる人では人相が全然違う!」と気が付く ⇒ 観相に興味を持つ
20歳頃 人相見に「死相がでてる」と言われる。運命を変えるため寺に出家を願い出るも住職から「このさき1年間(または半年間?説による)麦と大豆だけを食べていたら弟子にしちゃる」と言われる。素直な南北は実行。
21歳頃 再び人相見に見てもらう ⇒ 死相消えてる!⇒ もう出家の必要ない ⇒ 観相を研究するぞ!
25歳頃 仙人の弟子になり100日間にわたり相法の奥義を授かる

また南北はとても研究熱心で職を転々としながら観相学を極めていきいます。

  •  床屋の弟子となり3年間、人相を研究
  •  銭湯で働くこと3年間、全身の相について研究
  •  火葬場の作業員になって3年間、死人の骨格や体格について研究

そして南北50歳頃、ついに悟ります、

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人の運は食にあり

以降は粗食をつらぬき、主食は麦飯、一汁一菜。お米やお餅も食べず、大好きだったお酒も1日1合まで。(でも飲むんですね。)多くの著作を残し、78歳でこの世を去りました。

ちなみにこの年齢、同じ時代に生きた著名人と比べるとめちゃくちゃ長生きかというとそうでもありません ⇒ 葛飾北斎90才、杉田玄白85才、伊能忠敬74才。

南北相法の教え

水野南北が著した「南北相法」は今の手相占いや人相占いの基礎となる知識が事細かに書かれています。例えば・・・

  • 爪の根元に白みがある者で、その白みが枯れたように薄くなる時は、必ず物事が調い難い。また、心に余裕がない。
  • 髭が細く、青く、隙間なく生える者は心が豊かである。
  • 頭頂が平らな者は運が強い。また、危うい事があっても、自然に逃れることが出来る。
  • 乳房に毛が生じている者は子供に縁が薄い。だが、養子を迎える事がある。
  • 男で、女のようにしゃべる者は才能が無く、発展し難い
  • 身体が豊かで、脇目をふらず、少し下をみるように歩く者は、これを「くろむ」と言い、心が丹田に収まっており、非常に良い。また、人の上に立ち、分相応に暮らし、神気が強い。

引用 http://www.dragontracers.com/pg46.html

など、手相や人相のみならず、姿勢、歩き方、座り方、寝相、声色、発する言葉などについて事細かに記されています。さすが仙人に弟子し奥義を授けられただけのボリュームがあります。食に関しては別の著書では一貫して少食、粗食であることが良いとしています。

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